>圧倒的多数にとって云々
のように安易なイメージ根拠を迎合してしまうのが、本稿で述べられている喫煙者弾圧の構造だよね。
(議論テク)大衆論法:利便性と真理性の恣意的混同
も微妙に使ってるかな。
あ、カロヤンがバカっぽく見えるのは「能動的(選択的)な喫煙」と「受動喫煙」を一人でごっちゃにしてる部分が大きいから、ちゃんと区別しておいてな。
「受動喫煙」は健康促進法上で定義されてるし(それ以前に常識的に区別されてるが)、とつは何が選択的かを勝手に決めてるんじゃなくてそれをふまえて語ってるんだからさ。
私からも。簡単な例で。
「あるある大辞典」において科学的根拠のない「納豆のよさ」が語られた当時、次の日からスーパー等では納豆が売り切れる現象が観測された。これはまさに民主主義的な動きである。
この件については、運のみで後に嘘が発覚したため、「あるあるの放送内容は間違っている!」という世論が形成されたわけだが、私にはこの一連の流れ全てがバカであり「ベスト」とは程遠いように感じられる。
われわれ(少数派!)にとっては、はなから嘘だらけとわかりきっている「テレビ放送」に左右されて納豆を購入し、「テレビ放送」によってその間違いを知り憤るような行為はバカだと思わざるを得ないからだ。
さて、
(3)
この種の現象を「バカ」と感じないか?(「ベストだと思って受け入れた」結果であるから、民主主義的であり、それがベストまたは妥当だと思うか?)
この種の「でたらめなテレビ放送」によって少なくとも「間接的な」迷惑を被る(そしてわざわざ起訴するような余力又は立場がない)人が数多く想定されるが、それでもやはり妥当か?
(4)
では、これが必ずしもベストでない、あるいは「他人に迷惑をかけている場合がある」と君が認識している場合、「それなら、カロヤンが国民の過半数を納得させて間違ったテレビ放送を止めさせてみろ。できないんだろ?」という指摘をバカだと思うか?
私は思う。
※補足
(多数決的な意味での)民主主義というバカ中心主義への迎合、バカ中心主義に対して「理想ではないが妥当」的な信じがたい「後付けの理屈」をつけることにより当該迎合を正当化する試み、果ては迎合しない者に対する「じゃあお前が変えてみろ、新しい制度を提案してみろ」といった指摘の実行。
この「指摘」を行う段階に至っては、もはやバカ中心主義に埋没したバカそのものである。提案してどうする? 仮に提案できたとして、なおかつそれが民主主義以上の理想的な制度であると「科学的に示された」としても、それを「民主主義的に握りつぶす」のがほかならぬ民主主義だろうが。小学校の頃の算数の授業で「班で答えを決めてください」と言われ、自分と他の生徒の答えが異なった際、「議論」が紛糾して結局「多数決」で皆の答えの方を選ぶと、決まって班員全員が後悔するという体験を繰り返したではないか。こうした種々の現象に無自覚なのは、「正しい」と「便利だ」を混同するほど病状が悪化した状態を示している。こういう輩はこう叫ぶ。「迷惑の基準は人それぞれ。ただ、タバコは民主主義的な意味で迷惑なのだ」。愚昧。
卑近な例で言えば、「麻雀のツモに、流れはない」という真理は、こうした民主主義バカによるバカ中心主義によって握りつぶされる。すなわち、麻雀打ちの過半数は当該流れを信じている。それは別にベストとは思えないし、仮に「民主主義的妥当」であったとしても、やはり真理ではない。また、「妥当性」に乗っかって甘んじていられるほどおろかではない。私は「流れ信者」をバカと呼ぶ正当な権利を持っているし、麻雀界の現状を変えられないことをもってバカと呼ばれる筋合いはない。
(1)~(4)の番号を振って書いてね。補足部分は私の説明のためであり瑣末なので、反論の必要なし。
質問事項も多いし、別に答えられないものは無理に答えなくて良いが、ダラダラと書き散らかすのはやめてね。
民主主義云々の話は、結局民主主義を選択せざるえないということの確認。
民主主義を受け入れないならばそれを代えるか、出て行くかしかない。
民主主義を外してしまえば日本の法について語れない。法の成立条件が変わるので。
夢物語なら勝手にやってくれ。
>小学生云々
それは結局、周りを説得できず失敗を人のせいにしてるという自分の無能さを語ってるに過ぎない。
不謹慎に言えばヒトラーは優秀だったといえなくもない。
まあ力での封殺があればどうしようもないが。
現状を変えられないことをもってバカだというつもりはない。
それを言えば全員バカだろう。
俺は現状を省みず夢物語を語るならバカだと思うし、
世の中の全てを絶対的に正しい正しくないの二分論で語れると思ってるならばバカだと思う。
>民主主義を受け入れないならばそれを代えるか、出て行くかしかない。
まぁ答えを言えばこの認識が誤っている。
「民主主義と自由主義」についての基礎知識があればこんな間違え方をするわけがない。全くの勉強不足が見えすぎてる。(2)に対する回答も無残なものだね。そもそも何を聞かれてるかも分かってないレベル。
こういった民主主義的批判のほとんどが頭の悪さを多分に含んだものに基づいている。
そして、彼等は頭の悪さを迷惑に不当に振り替えて迷惑を水増ししようとする。
などなど、まぁ色々あるところだが、そこは嫌というほど参戦している他の方に任せて充分だろう。
「自由主義の正しさ」を(最初の書き込み時点では、明らかにそここそが論点であったはずだが)、「相対化?」しつつ自由主義に係る反論に対して見るべき意見を述べることもなく、かつ、何を血迷ったか当該論点を未だに相手に求めて「宿題」とやらを出してきているため、もう語るべきことはほとんど残されていないと私は思う。
私は自由主義に基づく「喫煙する自由」についてはさんざん、しかも一貫して述べてきたし、自由主義に基づく限り、「喫煙するメリット」などというものを説明する(=他人に理解させる)義務を負わない。
カロヤンからそれに対する反論は一切なかった(厳密には、一時的にあったが、瞬時にカロヤン自ら無効とした)。それどころか「それは相対化してるから」と いうことで「なかったこと」とされリセットされたのである。まさに、数式等によって結論が出された「麻雀の真理」に対して、「流れ信者」が「そんなことは初めからわかっていた」と声を荒げる時と同じそぶりで。
だが私は、あえてここで退屈な「議論」をやめて、自由主義に基づくことなく、またカロヤンが自由主義を理解していないということを指摘することなく、「相対化された立場」に立って、皆があまり書けそうにない(3)に対してわざわざ大胆な答えを用意してみようと思う。
【極めて個人的な側面】
・喫煙によりニコチンが体内に行き渡り(生化学的に厳密な表現でなければ適宜読み替えよ)、快感を得ることができる。
・おろかで鬱陶しいタイプの嫌煙家をわざと敵に回し、屈辱を与えるための最善の布石の一つとなる。
・比較的寛容な私の職場において、喫煙による気分転換を自由に はかることができ、業務効率が上がる、もしくは業務効率が上がったつもりになってストレスなく職務に専念することができる。なお、これは中央官庁に勤務す る国家公務員である私にとっての職務上のメリットであるから、国民にとっての「間接的」なメリットでもある。私は自分の庁舎が某合同庁舎のように全面禁煙 になれば、一気に仕事をやる気がなくなるであろう。なぜならそのような待遇を強要する組織ないし国民に対して、むかつくからだ。
・喫煙する女性に好まれる傾向がある。女性で喫煙している人は「少数派」であるため、理解を示すことにより「求人倍率」が低下する。
【半個人的・半公共的側面】
・職場の喫煙所における雑談等によって連帯感情が生まれ、とりわけ国家公務員としての職務上の難題を回避できることがしばしばある。喫煙所で知り合って1 日ライターを貸した人が、たまたま本省課長であって、不可能と思われていた会計マターの案件がすんなり通ったこともある。この事態そのものは運のみとはい え、職場における横の連帯としてこれほどすばらしい場所はそうそう考えられない。他部局・他課室の職員と「仲間」になることは、職務遂行上極めて有意義で ある(ちょっと会議室の確保に困って……という程度でさえ、横のつながりが存在することによって瞬時に解決し、それがなければ全く解決しないことがあ る)。私は、喫煙しない同期等が知り合うはずもない横のつながりを数多く持っている。これは「喫煙者差別」 の問題についてお互い共闘意識を抱いているがゆえであり、縦割りの組織における問題解決のためのじつに合目的的な手段となる。外部の業者関係等とも同様 で、会議の席では聞けない裏話(実情)を聞き出したりすることができる。少なくとも単純に面白いし、職務上もそれに留意してことを進めることが可能とな る。国家公務員である私の職務遂行が効率化されることは、ひいては「小さな政府」の実現につながるのである。
【公共的側面】
・短期的に見て、たばこ税による税収は財務省(≒政府財源)にとってきわめて重要であるとともに、厚生労働省(又はその関連団体)が「きれいなモチとして 絵に描いた」ような、禁煙を推し進めることによる国家財政上のメリットが具体的に得られるとは到底思えない(たばこに起因する病気・死亡等がなくなると、 たばこに起因しない病気・死亡等が増加することさえ試算に含まれていないと想定される)。つまり喫煙(タバコを消費すること)は社会の役に立っている側面が充分に考えられる。
・「間接的」なことを言えば、JT及びJTに関連する人々の生活の保障につながる(ついでにカロヤンの言葉を借りると、そのことは「間接的」に他の種々の人々の幸福にもつながる)。郵政が民営化されることとなった結果、郵政事業における非正規職員が大量雇用され、極めて過酷な労働条件下(当然のごとく労働基準法違反であるサービス残業等を含む)での労働を余儀なくされている(嫌ならやめればいい、といったアドバイスは彼らの立場には通用しない) こと及びいわゆる「田舎」における郵政サービスが急激に悪化しつつあることは「東洋経済」7/14号「公共サービスと公務員」でも大々的に取り上げられて いる。こうした事象は、当然「民営化」に伴って発生するであろうことは予見されていたことである。同様にしてタバコ産業への過度な規制は、当該産業関係者 に対する種々のひずみを生じさせる。
【思想的側面】
・喫煙を過度に規制することは、自由主義の一形態としての「幸福追求権」を迫害するものである。その種の迫害に反して喫煙を擁護し、さらに自ら身をもって喫煙することは、当該迫害への明示的かつ具体的な反対運動・思想明示の一形態と位置づけられる。
・映画描写で喫煙シーンを出すことを禁止・規制するようになった国等があるが、これは表現の自由への明らかな侵犯であり、一種の笑うべき事態である。レイプの描写にも増して、喫煙の描写が禁じられている場合さえあり、そこではもはや表現は死んでいる。喫煙は、こういった「民主主義的な」愚行に対する、「個人」にとっての対抗策の一つとなりうる。
これらの答えはもはや、議論上何の意味ももたらさない。冗談半分の記述もある。
とはいえ、昨今の「冗談半分かと思わざるを得ない『民主主義的』な機運」によると、これら具体例に対しても、「総合的に見て、デメリットの方が大きい」といった判断が下されるのではないだろうか。ばかばかしい。
ことはもはや議論とは関係ない。
カロヤン自身が「相対化」を認めてしまっているのだ。
どんな反論も「とにかく私にとっては、メリットなんです!」と言う権利を、みすみすカロヤンはわれわれに与えてしまっている。国家公務員である私の職務遂行上のメリットになることは、国民の「間接的」なメリットになるのだ(笑)。
>>とつげき東北
まあなんだ。結局は夢物語だったんだな。
結局自分の理想の制度(そこは語らないが)の上で自分の理想を語り
その理想に外れることにはバカだとののしる。
もし俺が法律を作るならってことなのだろうか?
自由主義ってのは結局曖昧なもんだし、誰にとって迷惑なのだとか?
つまりは(1)を語ってもらいたかったのだが。
理想論を語るのは別に悪いことではないし、勝手にやっといてください。
共産党や社民党のようになるなら別だが。
(3)はなかなか楽しく読ませてもらった。
俺も最初から(3)を一番上に書いてりゃ文句も言わなかっただろう。
なるほどと思うのもあったし、それは違うだろというのもあった。
俺はタバコは増税派なのでそれをメリットと思ってくれるならもっと増税していただきたい。
医療費分+環境分ぐらいは負担しろ。
などとか言いたいとこなのだがそういうのは求めてないようだ。
むしろ俺はこういうことを語り、落としどころ探っていくのが議論だと思うのだが
それは俺が民主主義的思考なのだからだろう。
ある種の人々――私はそれを大衆と呼んでいるが――は、「正しいか否か」ということについて、徹底的に無頓着である。少数派であれ、「正しさ」を追 求できる者が存在するのに、たとえばカロヤンは「小学校の算数の授業の例」においても「結果がうまくいかなかったのだから」「ダメ」と結論づけた。結果論 的ダメさは一つのダメさの基準ではある。しかし私がもっとも醜さを感じるのは、それをもって「正しさ」についてのダメさまでもうんぬんするような輩であ る。
「民主主義」の議論に 関しても同様だった。バカによるバカな政治が仮に「現状ベスト」であることは、わかったとしよう(まったく同意しないが)。ではそれは「正しい」ものか。 違う、そしてその違い方はカロヤンもケロヤンもわかっている(と自称している)。そうであるにもかかわらず、当該バカさに基づく「現状の制度」を「根拠」 にして、「ほら現状では認められない」とかいった、「理屈」を立てようとするのはなぜか。カスだからか。アホだからか。
私が美しいと感じる「高級な」理屈は、ごく単純に「正しさ」を求めるために存在するのであって、結果の偶発的損得等を求めるために存在するものではない。このウィキは初めから「理屈」を追求している。
わかるか。
私は麻雀における真理を著述した。なぜなら「正しさ」を求めたかったからだ。それに対して「○○というマンガよりは売れなかったよね」とか「でも計算した ら、麻雀がつまんなくなるじゃん」といった部分に思考が自動的に回るような者は、私とは徹底的に違う人種なのである。そうした人物は「ほら現状けっこう得 じゃん、『だから』現状の日本の民主主義はけっこういいじゃん、『ゆえに』それが正しいじゃん」と感じる。これは「バカの外延的定義」としての「カロヤン ガッシュ」によって浮かび上がったある種の典型像に他ならない。
※こんな注釈を入れなければならないのが残念だが、私はもちろん、アメリカがベストと思っているわけではないし、実際にどういった形態がベターかを語るこ とはできないか、できたとしても現状に甘んじるバカによって「夢物語」といった一言で棄却されるであろう。私にできることは、日本における政治形態等の 種々の問題点を、行政の中心にいる立場から、平均的な他者よりはずっと明確かつ合理的に指摘できる程度のことだ。「ありをりはべり」を覚えさせるかわりに プログラミングの基礎を教えて技術競争力を高めた方がマシじゃねーのとか、「ホニャララ改革」を乱発するのやめた方 がいいよねとか、国会議員が国会会期中に質問通告期限の約束を常時破るために生ずる莫大な税金の浪費は減らして「少なくとも国会議員くらいの地位に就け ば、約束は守りましょう」という教えを徹底した方がいいかもしれないねとか、また嘘ばかり書くかわりにこの種の現実をマスコミは報道してもいいんじゃない かな、あ、でもマスコミは大衆煽動と「政治的」利権によって成り立ってるから無理なんだよね、といった程度のうっすらとした、だが極端な相対主義的立場に立たない限りは「正しい」と思われる感覚を持っているだけだ。
まず100%実現しないことだから。おかしいというか、反論のために有効な例示じゃあないよね。
だって君は確実にどんな理論を使っても俺を殺せはしないのに対し、
タバコのスケープゴートは簡単に成立しえるものだから、質的に全然違う話だよ?
>ここまで
重要な部分が抜けている。
・健康被害に限定してさえ、より優先して対処すべき案件が大量にある
こと及び当該各種案件に関する認識が欠けているのが「ていうか」
(たとえば日本の水道水にはフッ素が入っておらず、大量の虫歯患者を生み出している。入れればいいのだが、歯科医師たちが猛反発しているわけだ)
・そういった過程において「差別」が産まれる
という認識が欠けているのが「ていうか」。例えば「虐げ」という言葉を彼は普通に使っているが、「虐げ」であると認識するかどうかは、差別が実際に起きていると認識されているかどうかのみに依存する。
まあこれ以上は「ここまで」には説明するまでもなかろ。
で、以上のような状態を「名言的」であって美的にセンスが悪いと感じるのがおれ。
で、仮に俺がタバコ同様差別されてもしかたないとして(君は俺が結局そのように主張しているというがw)、
タバコが規制されるべきことに反論できているの?
ほかの規制されていないお前が考えるいろんなダメなことを論ってもタバコが規制されてもしょうがない事実は消えないわけ。
なわけねーだろカスwwwm9^д^プギャーwwwwwww
>いろいろ馬鹿なこと言ってるようだが
の一言で、「民主主義的決定」とやらがイカサマであるという事実を流しちゃってるし。
「民主主義のシステムの正しさ」「多数決原理の正しさ」を信じるバカって多いな。
多数決制度などには、原理的な不公平性を内在することが厳密に示されているのに。
例えば、独裁者の存在を認めない全ての投票方式では、戦略的操作が可能であることが示されている(ギバード・サタースウェイトの定理)。
あるいは、投票方式をわずかに変更するだけで、もっとも支持される候補者と、もっとも支持されない候補者が一致してしまうモデルが示されており、実際にフランスやアメリカの大統領選でも起きた(ブッシュはこれによって世界を混乱の渦に叩き込んだ)。
まあこれらはタバコと直接関係ないので余談だけど、今度項目にまとめようかな。
タバコについてはもうリピートしすぎになるので、ひとまず「ここまで」に任せる。
・タバコは健康に悪い
・タバコは環境に悪い
・タバコは増税の対象として、妥当。
以上だw
いくつへ理屈を並べても誰もこの現実にあらがうことはできないw
今回の煙草税制が、分煙の推進等を目的とした所謂「目的税」であるなら俺は異論はない(1箱2千円でもいい)
だが、税制の目的のないままいたずらに「健康」という漠然とした内容で課すのであれば、大いに異論を挟む余地がある
この税施行は、上記ファミレス店員の思考と酷似している
自己責任であることを棚に上げて(タバコを吸う)他人を悪人に仕立てる→悪人に制裁を科(課)す、この流れである
今回の事例を諸手を挙げて許せば、次にどのような内容で政治家や官僚や天下りが残した尻拭いをさせられることになるか、今回のタバコ税措置に賛成の「頭の良い者」は一度考える必要があるだろう
だから「麻薬が健康に悪い」としたところで名言性を棄却することは
必ずしも出来ない訳なんだがまぁ、先にも書いたが蛇足だわな
ここから先については似たことが過去に無数に行われているが、(名無し氏の麻薬関連のがまさにそれだろう。)
要約の練習・掲題の理解の最終確認なので頭の良いお方・暇な方はご協力頂きたい。
醜い間違いがいくつも存在する可能性があるので、発見した場合はご指摘頂けると非常に助かる。
この文章における「他者」とは、「権力」(ウィキ的な意味合いで)を持ち法律を定める国全体のことを指すもので、
「他者の自由の侵害」は、狭義では「国が国家を保つために必要だと考えた法律を破ること」と言える。。
貴方が例に挙げた殺人幇助や人体実験などは、狭義の意味でなくとも「他者の権利を侵害」している。
そして臓器売買や食人は、「自由を阻害しない制度の整備」「慣習が与える社会への影響」などを考慮し、
国がそれらを許可した場合は制限されない。。
当然、「タバコは健康に悪いから規制されるべき」はリベラリズムの観点から言うと明確に間違いであるが、
それ以外の観点からは間違いとは言い切ることはできず、よって掲題そのものは恒新命題とは言えない。
>>「他者の自由の侵害」は、狭義では「国が国家を保つために必要だと考えた法律を破ること」と言える。。
つまり、その意見によるならタバコを規制することは国家を保つことに必要とまでは言えないからおかしいってこと?それだとどうなんだろう。国があっ て初めて個人の権利が決められると?人権派に怒られそうだがそれだと無理なくおさまるのかな。誰が国の意志を決めるのかってのはありそうだけど。
あと殺人幇助は自殺幇助の間違いだった。ごめん。それと人体実験はお互いの同意があってのものね。(金銭の授受があったなど含む)
ぱんだ009氏の主張を最初から追っていくと、多分このようにまとめられる。
「麻薬は『健康に悪い』ゆえに規制されている。健康に悪いタバコをあえて吸うかどうかが個人の自由であるならば、『麻薬は健康に悪いから禁止』も名言的であり、個人の自由で麻薬を使うこともできるはずである」……(1)
「同様に、臓器売買も人体実験も殺人幇助も食人も個人の自由なのだから、認められるはずである」……(2)
「しかし、現実としては、タバコも麻薬も臓器売買も人体実験も殺人幇助も食人も個人の自由として認められていない。したがって、『タバコを吸うのは個人の自由である』という主張は誤りである」……(3)
「麻薬は『健康に悪い』という理由で規制することができるのだから、タバコも『健康に悪い』という理由で規制することができるはずだ。この現実に照らして考えると、『タバコを吸うのは個人の自由である』という主張は誤りである」……(4)
(1)について:
誰からも反論はあるまい。
(2)について:
「個人の自由」=ここでいう「自由主義的な考え方」を取り違えている。
ここでいう「自由主義的な考え方」は、「共同体(他人)に迷惑がかからない範囲で、全てを個人の意思で決定する」というもの。つまり、本人が拒否の意思表示をしているのに無理やり人体実験を行ったりするのは、当然、認められない。
(3)(4)について:
「現実的な現象」と「論理的正誤」を取り違えている。
人間の取る行動は全て論理的に正しいというわけではない。論理的に誤った行動であっても取りうるのが人間である。そしてこの場においては、現実的な現象そのものを記述するのではなく、それはいかなる理屈に基づいているのかを分析し、それが非合理なものであれば笑い飛ばしその考え方に縛られないようにするという趣旨がある。
つまり、「現実はAである。しかしAという現象を論理的に考えるとBである」という主張に対して、「でも現実はAじゃないか」と「反論」したのがぱんだ009氏である(出典:「パンダ論法」)。
ところで、
>だって特にこれ以上進展しそうにないじゃん
これは、「『宝くじを買うのは期待値的に不利』の議論をちゃんと完結させた方がいいのでは」に対するレスだろうか。とすると、「もう反論できないので投了」という意味で受け取ってよいのだろうか。見たところ、ぱんだ009氏に反論している二氏の主張は、議論として特に不当であるとは思えないが。
麻薬が規制されるべきとする正当な理由と、タバコが規制されるべきとする正当な理由を
何か公的な研究機関がとったデータを持ち出して比較検討することでのみ
氏の幸福が追求されるのだろうか。
いついかなる人間がタバコと麻薬が同じく健康に悪い或いは悪くないと
どのようなデータによってそれを導き出したか……
だがそんなものは心底本当にどうでもよいのである。
それこそ法律なら「朕は麻薬が嫌いである」でよいのですよ本当に。
麻薬を規制してるのは法律であって、条文には麻薬は健康に悪いとは書いてないんだからね。
法律以外で麻薬を規制してる何かがあってそこに健康に悪いと書かれているなら、
正当な理由について何か述べることも悪くないかなと思わないでもないけども。
まぁ、中高生向けのパンフレットには健康に悪いからダメ絶対って書いてあるのかも知らんが、
少なくとも麻薬の場合「麻薬等を規制する法律」で規制されてるから禁止なのであって、
そこには個人の自由や思想を無視して決定事項なのだから諦めよう。
さて、タバコの規制については何故だか知らんが「健康増進法」とかいったような不思議な名前が付いている。
「喫煙の規制についての法律」とかではなく、「国民の健康を増進する法律」で何故かタバコなのである。
名言性の有無についてはもはやこれ以上書くのも馬鹿馬鹿しいので省かせてくれ。
もうタイヤに乗らなくてもいいんだぜ。
そもそも麻薬は健康に悪いから規制されてるんじゃないんだ。前提からそれが間違ってるんだ。
麻薬を規制する法律があるから規制されてんだ。
タバコも、「喫煙に関する法律」等で規制されてれば名言にもなるまいよ。
…無意味長文に自分で嫌気がさすぜ。
>麻薬が規制されるに足る「正当な」理由
本項目の主旨に沿えば、「経済的事情」などであろう。例えば、「麻薬による健康障害に要する費用は国民全体で負担しているため、麻薬は国民全体の医 療経済問題であり、これを単に個人的嗜好の問題とみなせない背景になっている」という事情があり、しかしこれによって麻薬を規制すると強い反発が予想され るために「健康に悪いから禁止」とする。これは構造上「タバコは健康に悪い」と全く同じであり、「一般に経済的事情は、道徳的事情に置き換えられて大衆に語られる」という説明に合致する。
以上の例示はもちろん「現実」に即してはいないが、ここでいう「『正当な』理由」を挙げよということであればこれで十分であろう。
>間接喫煙がダメなら自動車も~という意見は定型文としてよく言われますが自動車運転は愚行とはいいきれない(とみなされている)から同じようには論じられていません
誰に対して何を反論しているのだろうか。
「喫煙は愚行だから禁止すべき」
という主張を誰かしたのだろうか。
とつげき東北氏が「自動車も規制されるべき」と述べたのは、「タバコが『健康に悪い』という理由で規制されるならば、年間何人もの人間を死に追いやっている自動車も同様に『健康に悪い』のだから規制されるべきである」という論理に基づいている。しかし、現実としては(ぱんだ009氏もよくわかっているように)自動車は規制されていない。なぜ「自動車は健康に悪いから規制すべき」という運動や制度整備が活発化しないのだろうか、と考えると、「タバコは『健康に悪い』から規制すべき」なのではなく、何か「別の理由」があったために規制されたのだということがいえる。
……と何度も繰り返し述べられているはずなのだが。未だに遥か彼方で足踏みしているのはかわいそうというかなんというか。
今回(注:2011-01-03 (月)17:37:40)のレスからは(全体の5分の4ほどの「前置き」によれば)、「タバコは規制されていない」と主 張していたわけではなかったことが明らかになった。ということは、恐らく「麻薬」を「反例」として提示することで、「麻薬は『健康に悪い』という理由で規制することができるのだから、タバコも『健康に悪い』という理由で規制することができるはずだ。この現実に照らして考えると、『タバコを吸うのは個人の自由である』という主張は誤りである」と主張したのだと思われる。しかし、これは現実的な現象と論理的正誤を取り違えている。これに対する反論は、今のところない。
>>現実的な働きかけを考えるならば、「『本来は』自由であるべきなのだ」と述べるだけでは何ら効果がないことは十分承知している。
大衆は説得できないかもしれないけど、自由主義の定義に当てはまるものは
すべて個人の自由ということを徹底するなら一応の筋は通るけどね。
ただそうすると、本当にそれを「自由意志」で決断したと言えるのかどうかという
問題が出るけど。
>>ぱんだ009氏は「現実的に『健康に悪い』は規制の根拠として成立している」と主張していたはずだったが
正しい規制理由など何もないものは、何かを規制の理由にしなければならない。ということ。例)麻薬
自由主義の論理に従えば、他人に迷惑をかけない麻薬は当然認められる。
自由主義の論理に従えば、他人に迷惑をかけない人体実験は当然認められる。
自由主義の論理に従えば、他人に迷惑をかけない児童売春は当然認められる。
認められる? って話。ただそれだけのことなんだが・・・
>>「『自分でタバコを吸いながら禁煙を訴えるのはおかしい』と主張する人間がいる」という事実をもって、「ラッセルの階型理論は誤りである」と主張するようなものだ。
これ、ちょっとよくわかんない・・・。
ふむ……なんとなくだが……ぱんだ009氏がどのような「前提を確認したかったのか」がわかってきたような気がする。こうではないか?
「
タバコは、現実的には様々な理由で規制されている。「健康に悪い」というのは「理由の一つ」でしかなく、たとえ「健康に悪い」の誤りを明らかしたところで、タバコを規制する全ての理由に反論できたわけではない。自由主義は「健康に悪い」という理由での規制に反論することはできようが、現実的にはタバコは「健康に悪い」だけで規制されているわけではないし、もちろん経済的事情からのみ規制されているわけでもない。その複合的な要因を全て解き明かすことは非常に困難であり、少なくとも自由主義のみを根拠としてタバコ擁護を行うのは無理がある。
」
恐らく、ぱんだ009氏に反論した誰もが議論を噛み合わせられなかったのは、ぱんだ009氏はこのように「前提」をもってタバコ擁護論に「反論」したからであり、他の者はこの程度のことは既に前提として納得していたゆえに「?」となったからではないだろうか。
さて、仮に上記の愚考が当たっていたとしよう。
気づいただろうか。これは、先日「宝くじを買うのは期待値的に不利」に提出されたぱんだ009氏の反論形式を引っくり返しただけのものである。
「宝くじ」におけるぱんだ009氏の主張はこうだ。
「期待値」という言葉は、本来経済学の専門家などの学者がその立場において用いるものである。経済学においては、「幸福度」といったものは最初から除外されている。つまり、「期待値」という言葉を用いた時点で「幸福度」は除外して考えられているはずであり、「期待値的に不利である」という主張に対して「幸福度を考慮に入れていない」と反論するのは的外れである。
ところが、本項目におけるぱんだ009氏の主張は逆だ。「タバコは健康に悪いから規制すべきという言説は誤りである」という主張に対して「タバコが規制されるのは健康に悪いからだけではない」と言う。
おかしいではないか?ぱんだ009氏の思考法を持ってすれば、「タバコは健康に悪いから規制すべき」という言説に対する反論であると規定された項目なので あるから、当然本項目においては「それ以外」の理由は除外して考えられているはずではないか。にもかかわらず「複合的な要因を考慮に入れていない」とは? あるいは、とつげき東北氏は学者ではないのだから当然「それ以外」の理由も記述に入れるべきでありこれを無視して主張するのは不当である、とでも?
……ただこの説では、やはり最初に「でも現実は健康に悪いから規制すべきって結論に至ってるケースは多々あるじゃん。大麻は健康に悪い→大麻は規制すべきとかさ」と「反例」を持ち出した意図が読めないのが難点ではあるが……。
>>名無しB
>当然、というのは単に日本においてそれが通常法的に規制されているから、
ということでOKなのか?
根拠法ができてから当然となった、そういうプロセスで説明できるだろうね(ただし、逆のパターンを否定するわけではない)
児童買春禁止主義や売春禁止主義(という言い方を敢えてする)が日本で幅を利かせていることについて、根拠法の存在は無視できないだろうね
>>42
>ぱんだ氏とそれ以外のやりとりを議論記録にしたらどうだろうか?
俺の悪趣味がそこかしこに入っているから、難しいと思う
勉強になると思うなら、42自身がチャレンジしてみるというのもいいんでは?
うぃき付属の掲示板も閑古鳥状態だし、賑わせてみるのも一興(笑
>4、上記主要な論点は、この名言愚行において「他の用法の列挙」で跳ね返される可能性はないものか?
俺の「法云々」は可能性を秘めていることを認める
凸に対する「法云々」について直接の反論を認めている状態のまま、論拠としてぱんだにも使用しているので、可能性としては有るかもしれない
一応、「俺の悪趣味」の面から「逆利用している可能性」も残しておく
これも、チャレンジしてみては?(笑
最初の質問(「麻薬も含むんですよね?」)に回答するなら、再三言及しているとおり、自由主義的な考え方に従えば「誰にも迷惑をかけない麻薬の使用」は認められる(先には曖昧な言い方になったが、ここでは統一を図るため断定する。ただ、ニュアンスとしては先の発言と同じである)。これは「麻薬」に限らず、自殺幇助・臓器売買・人体実験・売買春等々あらゆる事柄についていえる。
そしてこの回答において、「自由主義的な考え方に従えば」自体がそもそもおかしい、というのがぱんだ009氏の問題提起である。
今の時点では、「掲題通りの自由主義の前提を論拠にするのは難しい」ゆえに「お互いの同意があっても全ての事例おいて自由であるとは言えない」という主張が提出された。が、「掲題通りの自由主義の前提を論拠にするのは難しい」と考える根拠が不明である状態だと理解する。この部分の説明を求む。
なお、こちらからも二点質問事項。
一点目。最初の質問に対する回答は上のとおりである。これについて「自由主義的な考え方に従えば」に納得がいかないようであるが、仮にこの前提に則った場合、「誰にも迷惑をかけない」タバコ・麻薬・人体実験等々は認められるということは納得していただけるだろうか?
二点目。これは上記「説明を求む」の補足事項だと思ってほしい。
「自由主義的な考え方に従えば」という前提がおかしい、との指摘だが、これは
(1)「『自由主義的な考え方』を根拠とすることがおかしい」
(2)「『自由主義的な考え方』の定義がおかしい」
のどちらだろうか?
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